経歴とポリシー 私の年表は下にあります
1986年に東京都東久留米市の故・北代美枝子氏のケネルCHOWCHOWLANDに18歳で通い始め
チャウチャウのいろはを教わりました。
チャウチャウのハンドリング・ショーイングはG7のプロハンドラーで
訓練士の麻生雅治氏とドッグショーに毎週のようにショーに
連れて行ってもらい、山中湖の訓練所に通い教わりました。
私の犬舎号は1987年にFCIに犬舎号登録をしています。
健全で明るく性格の良いチャウチャウを作るために、
それまでの国産の血統を一度、全部看取り、日本がそれまでに見てきた
主流であったアメリカに限らず、広い視野で世界のチャウを
実際に見て触って審査してきたKI-HOO'Sケネル 故・高木弘氏に、
縁あって世界のチャウチャウについてを教えてもらうことができました。
当時の日本のチャウチャウ達は、足が太く短く、毛が長く、
潰れた顔でした。
一般の方々がチャウチャウと聞くと、今も皺だらけの目の見えない、
このチャウチャウの姿を想像するのだと思います。
内反の手術をするのは良いチャウの宿命とまで言われていました。
皺が多く目が見えない程良いとされるようなチャウが流行った時代も
ありましたが、ヨーロッパやイギリスなどは流れが違っていました。
しかし日本ではオーバードーンと呼ばれる重たい犬が主流であったために、健康を度外視した繁殖が進み、内反の手術をするのは良い顔の証拠とか、
股関節が悪いものが多く、走らせてはいけない、ジャンプをさせては
いけない、後ろ足で立たせてはいけないなど、おおよそ犬とは思えない
間違った注釈がついてまわっていました。
性格が極端にシャイであったり、凶暴なものが多かったのも、
この時代です。
潰れすぎた鼻、太らせて押しつぶされた気管で24時間365日いびきを
かいている状態。
身体も皮も柔らかいものが沢山いましたし、太っていた為、
当然筋が伸びやすく、膝やじん帯を悪くしたりするチャウが沢山いました。
もちろん子犬も自力で生める訳もなく、帝王切開が当たり前でしたし、
太らせていたので手術も大変でした。
私も当時は、当然のように、これがチャウなのだと思っていました。
今から思えば、人間でいう所の、動くのも億劫なほどの肥満で、
無呼吸症候群の犬を作り出して早死にのチヤウも少なくなかったのです。
顔も潰れたものに、潰れたものをかけるという交配を重ねる結果、
体質の緩んだものが沢山出現して、短命のあだ名がつくほどの、
突然死の要因を作り出していました。
健全とは、どんどんかけ離れていきました。
アメリカに追従していた流れが強かった日本ですが、チャウチャウの人気が低迷しはじめ、アメリカなど各国で、それではいけないと、ブリーダーや
ファンシャーの間で改革が始まり健全へ向けて、内反や股関節などの
健康チェックをし、性格の悪いもの、体質の緩いもの、股関節の悪いものを繁殖から外す、などの改革が始まり、イギリスが大きくスタンダードを
改正したのに始まり、JKCでも2011年にイギリスに準ずる形で
スタンダードが変わりました。
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暑い気候の中で苦痛を感じたりするほどの量の被毛があってはならない
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素晴らしい持久力がある
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犬は常に苦痛な様子をすることなく自由に、且つ健全な歩様ができなければならない
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ラフ:豊富で、密生しており、真っ直ぐ開立しているが、長過ぎることはない
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キ甲から肘までの長さは肘から地面までの長さと同じ である。
などの文章が追加になりました。
FCIでも
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Should always be able to move freely and must not have so much coat as to impede activity or cause distress in hot weather. A bluish-black tongue is characteristic.
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Eyes: Dark, oval shaped, medium sized and clean. A matching coloured eye permissible in blues and fawns. Clean eye, free from entropion, never being penalised for sake of mere size.
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IMPORTANT PROPORTIONS: The distance from withers to elbow is equal to the distance from elbow to ground.
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Scowl never to be achieved by loose wrinkled skin of head.
などが加わりました。
目はクリーンです!内反はダメです。
内反の手術をするのを自慢にする時代は終わりました。
しかめっ面は、縦の溝のみで形成される。
横のシワはいらないのです。
ストップから頭頂にかけて縦の骨の溝がありますね?!
それがしかめっ面を作るのです、マズルにたくさん入るシワや
目の上のたるみで、目がめり込んで見えるしわの事ではありません。
私が好きな表現の言葉は、
QUEEN CHOW ケネル 石原京子さんが書いた、チャウチャウの、
しかめっ面の説明です。
愛犬の友に掲載されたものから引用します。
しかめっ面は、しわの多い“くしゃっ”とした顔つきということでは
ありません。
眉間のシワよって『しかめっ面』が生まれます。
しかも、この部分を上から触ると、縦に骨の溝があることがわかります。
つまり皮膚の弛みによるシワとは異なるのです。
私は、この表現を大事にした繁殖をしていこうと考えています。
頭数は少数のスモールケネルですが、健全な身体を作るために
思い切り走り回ることが出来るこの土地で、健康チェックをクリアした
心身共に健康な両親から生まれるということを大事にしています。
ただ生ませて、この世に出すのではなく、生まれてから新しい飼い主の元へ行くまでに必要な躾をしてから出しています。
ですので、大抵は3ヶ月齢のワクチンまでが済んでいます。
チヤウを何代か飼育されている家族にNYAN CHOWの子を
迎え入れて頂いた方には、その差が分かっていただけていると
思っています。
生まれた後の環境は、子犬にとって一生を左右するほど
健康にも性格にも大事な時期です。
良い股関節形成に欠かせない滑らない床の努力や、性格形成に必要な
親・兄弟姉妹と一緒に行う社会化期など、血統と環境など多方面から
日々考えて、真剣に取り組んでいます。
子犬は全て、次世代に繋げるべくの繁殖です。
売るための繁殖ではありませんし、いつも言っているのですが、
"そこにオスとメスがいるから・・・"
という単純な理由の繁殖はしていません。
(私の中のチャウチャウの為の繁殖か、売るための繁殖かの線引きは、
そこです。)
私はチャウチャウの将来を考えた数世代先を見据えての
ブリーディングプランを立てています。
自分の為のブリーディングですが、それがチャウチャウという
ブリードの未来に繋がると思えることを行っています。
ただ、全頭を残していく事は出来ませんので、残す子以外は30万円
(+諸経費、税別)で、一般家庭にお譲りします。
これはチャンピオン同士であっても、外産輸入犬の子であっても
変わらないですし、色やオスメス等でも変わらない値段です。
一生オーナーと、24時間365日、良きアドバイザーとなっていく料金だと
言ってくれたオーナーさんがいまして、そうであって行こうと改めて
思って、他のチャウの相場が変動しようと、しまいと、この料金で・・
と決めた料金ですが、色んなものが高騰する中、値段を変えないので、
子犬代金が、どんどん安くなってしまっているので、考え直す時期に
なったようです。笑
生まれた時から、いや、生まれる前から健康管理や繁殖に至るまでの、
様々な事に投資をしています。
チャウチャウの勉強に関しても、現在の日本で誰にも負けないと
自負できます。
私はチャウチャウの事が頭を離れる時が無いのです。笑
そして、勉強に終わりはありません。
そして日本で一番チャウチャウの繁殖のために経費を使っていると
自負できます。笑
そして、それが出来るのはチャウチャウに取り組むことが
趣味であるからです。
仕事として成り立たせるためには、ここまでお金と人員、
時間をかけては会社が成り立ちませんからね。笑
チャウチャウを好きなスタッフや、家族の全面的なバックアップ体制が
あるから出来る事です。売るためのチャウを作るのであれば、
この投資は一生元が取れません。
会社は間違いなく倒産です。笑
ですので、私の子供達と一生チャウライフを楽しんでいただける方に、
お譲りしたいと思っています。
勝手な繁殖をしないという約束を守っていただければ、
こうしなければいけない・・・などの制約はありません。
そして、急な時は、自分の子供たちの為には、どんな時間でも
相談に乗りますので、ご連絡ください。
About Me
1967年に東京阿佐ヶ谷で生まれる
(自分記憶の無い頃から犬が好きだった)
1970年に埼玉県に移り住む
1976年に愛犬の友という雑誌に出会う(小学3年生)
1977年に初めてドッグショーを見て決意する(小学4年生)
1985年に高校の同級生である夫と付き合う
1986年に東京愛犬専門学校に通う
1986年にチャウチャウのブリーダー
チャウチャウランドケンネルに通い始める
1987年にハンドラーとトリマーの資格を取得
1987年に最初のチヤウを飼い始めショーや
ブリーディングをし始める
G7やJKCのハンドリングコンペに出場し
優勝や最優秀賞を受賞する
1991年アメリカチャウチャウの
スペシャルティーショーに行く
1994年に獣医師の夫と結婚
アメリカウエストミンスターショーに行く
1997年にチャウチャウ2匹を10歳で亡くす
1997年に仙台市に移り住む
1999年に岩手県奥州市で動物病院を開院する
2003年にアメリカからチャウを輸入する
2003年に高木弘氏とコンタクトを取りチャウを考え直す
2003年に息子を交通事故で6歳で亡くす
これからアメリカ・ノルウェー・カナダ・
イギリスなどから計10頭のチャウチャウを輸入する
2012年ヨーロッパでチャンピオンタイトルを取得
2013年から6年連続で輸出犬達でカナダでの
チャウチャウTOP10に入る
2013年6位、2014年2位、2015年3位、
2016年2位と4位、2017年2位と12位、2018年1位と7位
2018年カナダチャウチャウ1位になり
カナダトップチャウチャウで表彰され
カナダ・ブリーダー・オブ・ザ・イヤーを受賞する
2019年夢だったアメリカナショナルに自分の犬を出しRWDを受賞する
2021年アメリカ輸出犬がアメリカチャンピオンになる
自分の人生を変える大きな転機をいくつも同時に迎えた2003年でした
色んな人に支えられて今があります
自分の生きる目的も、大切な仲間に対しても、チャウチャウに対しても
いつか息子に会う日の為にも、嘘偽りなく生きています
私を信じて一緒に楽しんでくれる大切な仲間達と
毎日笑って楽しく生きていくつもりです
私に出来得る全てを注いでチャウチャウに精進していこうと思っています